史跡

公開開始日:2016年02月18日

 

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文化財名分類指定主体内容
足守藩主木下家墓所  史跡 山地斜面を整地して土留めの低い石垣を築いて墓所としている。墓塔は宝塔形の木下きん定と利潔のものを除くと、小型で質素なものである。6代藩主きん定以降の歴代藩主、藩主の子女及び利玄の父利永など一族の墓塔が総計30基あり、22」基の石造燈籠がある。
足守藩主木下家屋形構跡 史跡 宮地山の南東山麓に位置し、北東に庭園の近水園を配して、南東(正面)から東西にかけて幅約2メートルの石積みの掘割で区画し、正面の堀割には曲折を施している。堀割には二ヶ所の石橋と一ヶ所土橋を架け、内側を棟門で固めていた。屋形構は、上部の構築物が廃藩置県後に撤去されてしまい、往時を物語る建物を欠くとはいえ、石橋の残る掘割と近水園が良好に遺存しており、小藩の大名の屋形構を伝える貴重な遺跡である。
犬養家旧宅 史跡 第29代内閣総理大臣となった犬養毅の生誕地。毅は安政2(1855)年に当家で大庄屋の次男として生誕した。5・15事件で暗殺された。
浦間茶臼山古墳 史跡 古墳時代前期の大型前方後円墳。勾玉・銅鏃・鏡・特殊器台形埴輪の出土が知られている。全長約138メートルで、前方部が撥形に開く古式の形態。
大多羅寄宮跡 史跡 正徳2(1712)年に藩主池田綱政が、藩内71社の寄宮の内66社を再統合して祀ったもの。
大廻小廻山城跡 史跡 総社市の鬼ノ城とならぶ吉備が誇る古代山城跡。土塁づくりの城壁線は全周3.2キロメートル、城内面積は38.6ヘクタールを測る。東アジア情勢が緊迫の度を増した7世紀後半に築造されたと推定されており、発掘調査の結果、列石や版築を含む城壁構造や谷部に築かれた水門を伴う石塁等の遺構が確認された。
緒方洪庵生誕地 史跡 江戸時代末期の蘭方医洪庵の生誕地。洪庵は足守藩士の子で、大坂で適塾を開設した。一時足守に帰り近隣住民に種痘予防を実施した。
岡山孤児院発祥の地 史跡 社会事業家石井十次が明治20年にこの辻堂で困窮者の子を引き取り、彼の岡山での孤児院救済教育の活動の緒になった。
岡山城跡 史跡 16世紀末に宇喜多秀家が築城した梯郭式の平山城。完成は池田忠雄の寛永年間で別称は烏城。天守閣は観光施設として復元公開されている。史跡地としての整備や石垣修理なども進行中である。その城下町は岡山市中心市街地の礎となった。
岡山藩主池田家墓所 史跡 岡山藩主(後)池田家の2代綱政以降の墓所と菩提寺で、元禄11(1698)年に建立された。広大な境内の臨済宗曹源寺の禅宗伽藍を中心にして、他宗派の塔頭をも配置している。
尾上車山古墳 史跡 古墳時代前期の大型前方後円墳。当時の吉備の入江に突出した臨海性の古墳。全長約150メートル。三段築成で古式の様相を示す。
金川城跡 史跡 戦国時代に備前国西部を掌握した松田氏の居城として名高い備前最大級の城郭で、曲輪の段構造や土塁、石垣、井戸などの遺構も良く残り、戦国期山城から近世初期の山城への変遷を窺う事もできる重要な遺跡である。
亀山城跡 史跡 備前地域の戦国の覇者となった宇喜多直家が岡山城進出に先立って居城とした丘城で、東方の丘の最高所に本丸を構え、西方の丘を含めて城域となっていた。丘の裾に湿地が廻って濠となっていた。直ぐそばを山陽道が通り、交通路を掌握できる立地で、備中高松城水攻めの際には羽柴秀吉もとう留した。
加茂城二ノ丸跡 史跡 毛利方国境7城のひとつ。天正10(1582)年の備中の役で秀吉方に攻められて落城。高松城と同様の平城でこの二の丸土壇が残存。
神崎樋門(石) 史跡 貞享4(1687)年、享保20(1735)年の銘文があり花崗岩製。新田地帯の悪水排水用の堀割に設置された水門樋門石である。当時の治水状況を知る上で重要。
木下利玄生家 史跡 白樺派の著名歌人木下利玄の生家。利玄は最後の足守藩主木下利恭の甥で、利恭の後の宗家を継ぐ。生家は藩陣屋区画内に所在。
旧岡山藩藩学 史跡 岡山藩初代藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために開設した学校で、藩校としては全国最古。戦前までは一部の校舎が残っていたが戦災で焼失し、前庭部分の池と石橋が残る。
倉安川吉井水門 史跡 吉井川と旭川を繋ぐ水運兼灌漑用の運河で延宝7(1679)年に完成。吉井川水門は取水口・舟だまり・出口水門・番所跡が遺存している。
坂古田古墳 史跡 古墳時代前期の大型前方後円墳。全長約150メートル。後円部径84メートル。2段築成を示す。背後に小型の円墳・方墳からなる古墳群があった。
賞田廃寺跡 史跡 備前国最古の寺院で、背後に竜口山をひかえ、北から南へ次第に降る緩傾斜地にある。周辺は上道氏の本拠地とされるところで、その氏寺と考えられる。発掘調査の結果、塔が2基あったことが判り、地方寺院では珍しい凝灰岩製の切石を積み上げた建物基壇などが復元整備されている。
浄土寺 史跡 奈良時代の開基伝承の古刹。鎌倉時代初頭に重源の行政・民政・宗教活動の拠点となり、大湯屋があり、東大寺と共通の瓦が出土。
神宮寺山古墳 史跡 古墳時代前期の大型前方後円墳で、吉備地方では珍しい全くの沖積地に立地する。全長は150メートル。直径95メートルの後円部頂にある石室から大量の鉄器が出土した。
惣爪塔跡 史跡 田圃中に長径2メートル、短径1.5メートルの塔心礎が遺っている伽藍配置などは不明であるが、付近から古代の瓦が出土した。津臣関連の氏寺跡か?
高松城跡附水攻築堤跡 史跡 天正10(1582)年の中国役の主戦場となった城跡で、羽柴秀吉による水攻めの舞台として全国的に著名。毛利方城主の清水宗治が立て籠もった主要部は平城で郭の土壇が残る。秀吉(織田)方が築いた水攻め堤防も一部が史跡地として残る。
高松城水攻め鳴谷川遺跡 史跡 天正10(1582)年の高松城水攻め時に、秀吉側が背後のこの地の谷川からも水を引こうとしたと伝わるが、未遂に終わる。
竹内流古武道発祥の地 史跡 天文元年(1532)美作国久米北条郡垪和郷の一の瀬城主竹内中務大輔久盛が創始した古武道竹内流の発祥地。中世の山城を思わせる石垣と付近には宗家代々の碑が並ぶ墓所であり、伝統の古さを物語っている。
田原井堰跡附田原用水路一部、百間の石樋、切抜き 史跡 田原用水は吉井川の水を新田原堰から取り入れて下流の農地に送るために造られた。近年の河川改修で大きく変貌したが、水路施設を移築展示した場所がある。昔の多くの人々の努力の末に、田原井堰、田原用水ができたことによって、日照りの年でも水不足で水稲が実らないという心配がなくなり、農地が増大し、水稲の収量がとても増え、農家のくらしが豊かになった。田原用水は、田原用水管理組合が大切に管理している。
造山古墳(第1・2・3・4・5・6古墳) 史跡 全長350メートルの古墳時代中期初め(5世紀前葉)に築かれた巨大前方後円墳で全国4位の規模をもつ。前方部の前方に千足古墳(古式横穴式石室墳で内部の石障に直弧文)・榊山古墳など6基の陪塚が並ぶ。
津島遺跡 史跡 岡山平野の初期農耕集落を示す遺跡。縄文晩期から古墳時代。弥生時代前期の水田が居住地と一体的に検出された。竪穴住居、掘立柱建物、水田跡などが復元整備されている。
常山城跡 史跡 「常山合戦」の舞台として名高い、旧備前国屈指の大規模山城で、曲輪の段築構造や石垣などの遺構も良く残り、この地域の戦国史を考える上で重要な遺跡で、近世城郭への変遷を窺うこともできる。
伝賀陽氏館跡 史跡 在地豪族賀陽氏の鎌倉時代の居館跡とみられる。土塁囲繞の方形土壇と周濠跡が良好に遺存したが、現在は上部大半を失う。
徳倉城跡 史跡 旭川の支流によって開けた谷間の小平野に臨む山城で、石垣が多用され、瓦の散布から瓦葺き建物が林立していたことが判る。戦国時代に築城された土造りの城を、宇喜多秀家の岡山城の支城として改修された結果とみられる。城主は重臣の遠藤河内守と伝えられる。
撫川城跡 史跡 庭瀬城は高松城水攻めの際の毛利方境目七城であったが、撫川城はその一画を占め宇喜多秀家期の支城として整備された際とみられる野面積みの石垣が残る。周囲には濠をめぐらす。江戸時代前期に庭瀬藩から分地された旗本の知行所となった。
幡多廃寺塔跡 史跡 県下最大の長径2.5メートル、短径1.9メートルの塔心礎が残っている。発掘の結果、寺院跡は白鳳時代後葉に創建されたことが判明。東西123メートル、南北128メートルの寺域が復元されている。
彦崎貝塚 史跡 縄文時代前期から後期を中心とする西日本屈指の規模を誇る貝塚。古くから人骨が多数出土した。近世の干拓が行われるまでは眼前には海が広がっていたことを如実に示す遺跡である。
備前国総社 史跡 古代の備前国総社の後進の神社。境内は移動しておらず、江戸時代の建築の本殿・幣殿・釣殿・拝殿・随身門が存していた。
備前国庁跡 史跡 備前国府の中心想定地。周辺に国長・国府市場等の関連地名が残り、一帯に方6町の府域が所在していたと推定される。
平賀元義由縁の地 史跡 幕末の国学者平賀元義の終焉関連地。布勢神社滞在中不慮の死をし、境内に歌碑・文庫跡・長歌碑・墓所等が所在している。
藤原成親遺跡 史跡 鹿ヶ谷の変に連座し有木別所に配流された成親はこの地で暗殺された。供養の石塔が立つ。付近に高霊寺の礎石等が遺る。
真金一里塚 史跡 江戸時代の山陽道の一里塚跡。旧道を挟んで南北一対の塚があり、黒松(北塚)と榎(南塚)が植えられた。
松田元成・大村盛恒墓所 史跡 金川城主松田元成が、三石城攻略の途次手傷を負い、この地で自刃し、その家臣である大村盛恒もそれに殉じたと伝わる。元成のためとされる無縫塔と盛恒のためとされる宝篋印塔が文化財として現存する。
万富東大寺瓦窯跡 史跡 鎌倉時代初めに奈良東大寺の再建のために屋根瓦を焼いた場所で、「東大寺大仏殿」の字を記した瓦が出土する。東大寺再興事業の責任者となった僧の重源が備前国を造営料国として賜ったことによる。瓦は吉井川の水運を利用して搬出された。
宮山西塚古墳 史跡 古墳時代後期の大型横穴式石室墳。墳形は円墳。径25メートル。全長13.5メートルの石室内に蓋を欠いた凝灰岩製家形石棺が遺存。
牟佐大塚古墳 史跡 古墳時代後期の吉備地方三大巨石墳のひとつ。墳形は円墳。全長18メートルの横穴式石室に吉備特産の浪形岩の家形石棺を安置。
横井上お台場遺跡 史跡 横井盆地最大の古墳時代前期の円墳。径40メートル、高さ3メートル。幕末に墳丘を利用して岡山藩が台場を築成している複合遺跡。
 

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