歴史資料

公開開始日:2016年02月18日

 

歴史資料
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文化財名分類指定主体内容
アジア航海図(羊皮紙著色) 歴史資料 本図はもと備前岡山藩主池田家に伝来したもので、桃山時代の作と推定。洋皮紙の表面全体に胡粉し、東は日本、南はジャワ諸島、西はアラビア、北は中国北部までを図示している。図の全面には緯度、経度が縦横にひかれ、縮尺を示すスケールも標示されている。
岡山藩主池田家関係資料 歴史資料 曹源寺には歴代藩主の画像をはじめ、藩主及び夫人らの自筆の絵画・書跡・書状などが多数保存されている。藩主の画像は没後まもなく描かれたもので、生前の容姿をよく伝えるものと思われる。多くは没後、供養のために奉納されたものだが、中には生前に本人が奉納したものや寺僧への書状なども含まれている。
岡山藩主池田家歴代肖像及び厨子 歴史資料 岡山藩主池田綱政が菩提寺として建立した曹源寺には、綱政以降6代の藩主と近親者の墓所が営まれている。木像は生前の容姿を写実的に表現していると考えられ、厨子も各時代の建築と美術工芸の様式的特徴を良好に反映している。現在は文政7年再建の本堂内に安置してあるが、もとは墓所前の御霊屋に祀ってあった。
岡山藩学校及び閑谷学校扁額類2枚、3幅 附閑谷学校大成殿及び芳烈祠 扁額本紙2幅 歴史資料 全国に先駆けて設立された岡山藩学校及び閑谷学校の歴史を伝える貴重な資料。 江戸時代前期の書家佐々木志頭磨の揮毫による「学校」及び「講堂」の扁額は、初め岡山藩学校の校門、講堂に掲げられ、後に閑谷学校に移されたと考えられる。これらの扁額と藩学校「校門」の扁額のもとになった本紙3幅も残っており、書跡としても優れた作品である。これらの扁額類は、藩学校及び閑谷学校の歴史を伝える貴重な資料である。(岡山県文化財課ホームページより)
経誼書院資料 歴史資料 経誼書院は、岡山城下町の豪商で、町方惣年寄りであった河本家の、6代目の立軒(子恭)が、18世紀後葉に屋敷地内に開設した、公開図書館である。昭和34年に、同家子孫の河本太仁氏が伝承していた同書院関係の資料を、岡山市立中央図書館に寄付し、図書館では「河本文庫」として整理を図っている。
閑谷学校関係資料 歴史資料 閑谷学校は初代岡山藩主の池田光政が創設した領民教育のための学校で、現在の備前市に多数の建造物が残る。この項目で文化財指定されているのは関連の歴史資料である。
常寿院前僧正宣胤碑伝(天満宮上棟札) 歴史資料 碑伝は修験者が峰入り修行を終えたしるしとして修行路の宿や行場に立てていた記念碑の一種ともいうべきものである。この碑伝は修験者の常寿院前僧正宣胤が文明13(1481)年5月中旬に峰入り修行を終えたしるしに作成し、のちに天満宮(現天神社)の上棟札に転用していたものである。現存する中世の碑伝は県下はもちろん、全国的にみても極めて少なく、高い資料的価値を有している。
石造大燈籠 歴史資料 花崗岩製の大燈籠で安政4年(1857)作られた。津高郡一宮村の久介ら6人が発起人・世話人となり、金1両以上寄進した人について、台石に「国所御姓名」を彫ることを約束して広く寄進を募り、同6年に造立した。台石に陰刻された寄進者は、備前・備中の岡山藩領諸村、及び岡山城下を中心に25カ国、1494名を数える。吉備津彦神社に対する人々の信仰のみならず、岡山の石工の技術を知るうえでも、貴重な資料である。
朝鮮通信使関係資料9幅 歴史資料 江戸時代の地域における日朝文化交流を示す貴重な資料。 本資料9幅は、第5回、第6回、第8回の通信使として来日した高官の手による漢詩の墨跡で、牛窓や本蓮寺の情景などが詠み込まれている。漢詩に使われた技法などから、本蓮寺、通信使双方に交流を継続的なものにしようとする意識を看取でき、江戸時代の地域における日朝の文化交流を示す資料として貴重である。(岡山県文化財課ホームページより)
花房家史料 歴史資料 宇喜多秀家の重臣であった花房正成の直系子孫である花房正幸氏(東京在住)が、昭和61・62年に正成から明治初年に至るまでの家伝の史資料212点を一括して岡山市教育委員会に寄付したものの内から、特に岡山の歴史に関係深い史資料を選出したものである。'徳川氏の中核家臣(旗本)となった岡山出身の花房家の江戸初期の文書類と、配所の旧主君宇喜多秀家との音信書状類、及び伝初代所用の甲冑など。
 

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