古文書

公開開始日:2016年02月18日

 

古文書
古文書

詳しく知りたい文化財を選んでください。(50音順に表示しています)

文化財名分類指定主体内容
足利尊氏御教書 古文書 将軍足利尊氏が観応元(1350)年に観応の擾乱に際し九州で反旗を翻した足利直冬討伐のため、河野通盛に軍勢催促したもの。
池田光政日記(21冊)附池田光政自筆系図及び覚(各1巻) 古文書 名君として名高い初代岡山藩主が書いた自筆の日記で、光政の政治理念や藩政、また日常生活が読み取れる一級の資料である。
沖新田東西之図 古文書 文政元(1818)年12月に沖新田外七番(現・岡山市東区政津)在住の鹿之介が、「蘭術測量」により「一分十間之法」(縮尺600分の1)を以て描いた精緻な実測図である。堤防・道・河川・貯水池・附洲・中洲・井関・水門・橋・神社・寺院・並木・人家などを丹念に描いて名称を付し、地域別に色分けして村名・字名も書き入れている。江戸時代後期の測量技術の発達や沖新田の様子を知ることができる貴重な資料である。
旧灘崎町教育委員会文書 古文書 慶長9(1604)年の彦崎村・川張村・奥迫川村・片苅(片岡)村の田畑検地帳、新田検地帳、年貢免状のほか児島湾の漁場争論関係文書、興除新田開発関係文書などを含んでおり、江戸時代の児島湾沿岸の村々の田畑や年貢及び人々の生活の実態などを知ることができる貴重な史料となるものである。
金山寺文書 附金山観音院縁起(7巻) 古文書 仁安3年(1168年)から慶長6年(1601年)当寺に伝わる平安時代から室町時代にかけての52通の文書と縁起。古代末期から中世にかけての国司安堵状、幕府や六波羅探題および守護などの下知状をはじめ、田地の寄進状などの文書。地方寺院がその寺領保全に如何に苦心したことや、地方の土豪や武士との関係などを知る貴重な史料である。
羽柴秀吉書簡 古文書 天正10(1582)年の書。縦30.3センチメートル。横48.5センチメートル。烏の子紙。秀吉が備中高松城を攻めたとき、築堤用の縄を郡年寄より提供されたことを謝し、さらに縄200束を注文した意味のものである。工事を起こしたのが5月8日であるから、書簡の日付5月3日は着工直前であり、当時の緊迫した情勢が伺われる。
備前国禅光寺仁王堂造立奉加人交名 古文書 康正2(1456)年、安住院仁王門建立の奉加人892名を2幅に記載する。当時のこの地方の国人・小領主層を示す史料である。
備前備中国境並びに海面ご裁許絵図 古文書 宝暦8(1758)年の絵図。岡山藩と庭瀬藩との干拓地の境界紛争に関し、幕府の裁定の絵図。裏書きに幕閣の署名と捺印あり。児島湾干拓の歴史を知る貴重な資料である。
豊楽寺文書 古文書 正平7年(1352)から宝暦12年(1762)にかけての古文書で、美作南部の中世史を知る上で貴重である。
本蓮寺旧蔵文書 古文書 備前国邑久郡牛窓・本蓮寺に旧蔵されていたもの。鎌倉末の正安2年(1321)から、室町・戦国期を中心に田地・畑地の売券が多数を占める。牛窓周辺地域に居住していた石原氏をはじめとする地方豪族らの経済活動のの一端を物語る好史料。これほど揃った文書群は県内には例を見ない。
妙国寺文書 古文書 岡山藩による寺院淘汰、僧侶追放により妙国寺を退去した寺僧は、開山以来の古記録を金川の豪商で、檀家であった江田家に預けており、同家で200年余にわたり秘かに保存されていた。その古記録は、明治9(1876)年、日蓮宗不受不施派が公許されたのち、江田家から同派に返納されたが、本文書はその一部である。
 

ページトップ