建造物

公開開始日:2016年02月17日

 

建造物
建造物

詳しく知りたい文化財を選んでください。(50音順に表示しています)

文化財名分類指定主体内容
安住院多宝塔 建造物 18世紀前半の建立で、本瓦葺重層の宝形造り。下層は方三間。亀腹を伴う上層は円筒形の軸を組む。「みかえりの塔」として後楽園の借景で有名。
安住院本堂 建造物 慶長6(1601)年に岡山城主であった小早川秀秋の助力を得て建立。18世紀末に現位置へ移転。5間6面入母屋造り本瓦葺き。一山の総本堂で、桃山様式を良好に示す。建立時の棟札も現存する。
安住院仁王門 建造物 康正2(1456)年の建立。入母屋造り本瓦葺きの三間一戸の桜門。総丹塗りで「瓶井の赤門」と称す。当地の古刹禅光寺の仁王門。
池田忠継廟 附棟札[3枚]、守護札[4枚] 建造物 元和2(1616)年に17才で没した岡山藩初代藩主池田忠継の廟。本殿、棟門、練塀、地下埋葬施設を伴う。1978年小橋町から移転。その解体時に発見された棟札と守護札を追加指定。
今村宮本殿 建造物 本殿は元和9(1623)年の再建で、荘重華麗な桃山様式の三間社流造で、檜皮葺。当宮は岡山城拡張のため当地に移転創立された。
岡山城月見櫓  建造物 元和年間(17世紀前葉)に池田忠雄が建てたた本丸中の段の北西の隅櫓。和戦両様の造りで、二重二階建てで地下付き。
岡山城西丸西手櫓 建造物 岡山城西の丸の正面の防備のために、江戸最初期に池田利隆の手によって建造された櫓である。
岡山神社随神門 建造物 岡山神社は、宇喜多氏以来岡山城の守護神として歴代の城主の信仰が厚かった。随神門は、池田継政によって延享2年(1745)に造立された、三間一戸の八脚門で、岡山空襲でも焼け残った数少ない岡山城下の近世建造物である。
吉備津神社御釜殿 建造物 神社の台所と伝えられる神殿で、慶長17(1612)年の再建である。平入り単層の本瓦葺き入母屋造り。鳴釜の神事(占い)がなされる。
吉備津神社回廊 建造物 本殿・旧御供殿・御釜殿等の神殿を繋ぐ総延長398メートルの回廊。両下造り本瓦葺き。完成は天正年間。一間毎に氏子が寄進して建てた。
吉備津神社北随神門 建造物 本殿北側の入り口を占め、室町時代の中期の再建とされる。単層の檜皮葺き入母屋造りの三間一戸の八脚門で、時代的特徴を示す。
吉備津神社本殿及び拝殿 附棟札 建造物国宝 神社は備中一宮をなした名神大社で吉備津彦命を祀る。本殿は足利義満が再興し、応永32(1425)年に落成。屋根が比翼入母屋造りで、吉備地方独特の建築様式を誇る。
吉備津神社南随神門 建造物 神社社殿中最古の建物で、延文2(1357)の再建。単層の本瓦葺き入母屋造りの三間一戸の八脚門で、鎌倉時代の様式を示す。
吉備津彦神社随神門・同中門 建造物 旧社殿などは1566年に焼失したとされるが、現存する両門は1697年頃、岡山藩主池田綱政によって再建された。再建時の江戸時代前期の特徴を良好に残している。
吉備津彦神社本殿 建造物 元禄10(1697)年の再建。桁行三間、梁間二間の桧皮葺流造りの三間社。藩主が願主の端正な姿。当神社は備前国の一宮である。
旧足守藩侍屋敷遺構[3棟] 建造物 足守藩(藩主木下家)国家老木下氏の屋敷。母屋・長屋門・内蔵・便所・湯殿・土蔵・庭園が一括遺存。江戸中期と推定。
旧犬養家住宅(主屋・土蔵) 附家相図 建造物 当地の庄屋の犬養家が大庄屋を務めた正徳年間(18世紀前葉)の居宅と推定される。主屋は平屋の本瓦葺き切妻造りで9×5間。隣接して明治から昭和初期の政治家の犬養毅(木堂)の展示施設がある。
旧河原家住宅 主屋・離れ座敷・化粧蔵 付棟札1枚 建造物 河原家は江戸時代に庄屋・大庄屋を務めた家で、天保10(1827)年に建て替えられた主屋は一部二階建、入母屋造、茅葺、四周に本瓦葺の庇を付け、南面に大庄屋になったときに設けた向唐破風造の玄関を付けている。離れ座敷は二階建、入母屋造、桟瓦葺で、数寄屋風の瀟洒な部屋と茶室をもつ。二階建の化粧蔵は4棟ある藏のなかで最も重要な蔵であった。これらは江戸時代後期の庄屋・大庄屋の建物群を構成する重要な建物で、ほとんど修改築をうけておらず、歴史的、文化的にも高い価値を有するものである。
旧木下権之助屋敷表門(北木門) 付棟札1枚 建造物 弘化3年に木下権輔家の正門として再建された建物である。建物の骨格を良好に残しており、さらに正面外部の物見窓や下見板などよく旧状を保っている。足守藩の中枢を占めていた藩主近親者の表門としての風格を示す。
旧旭東幼稚園園舎 建造物 中央に八角形の遊戯室を配し、そこから四方に保育室が張り出す独特の形で、自然光をフルに取り入れるように工夫されている。当時の児童教育の理念をそのまま建築に表わした造りである。設計者は岡山県工師であった江川三郎八で、明治41年に建築された擬洋風建築物。学校建築史のうえで、また教育史のうえで貴重である。
金山寺護摩堂 建造物 本堂と同じく天正3(1575)年の再建。単層入母屋造り本瓦葺き。桁行三間、梁間三間。向拝の正面に豪華で精巧な装飾がある。
金山寺三重塔 建造物 天明8(1788)年建立。三間三重本瓦葺。この時期の塔としては古相を伝え、全体に均整のとれて落ち着いた姿をなしている。
金山寺山門 建造物 正保2(1645)年の建立。入母屋造り本瓦葺きの三間一戸の桜門。下層の桁行き6.12メートル、梁間1.73メートル。上層を下層より少し縮める。
熊野神社本殿 付棟札1枚 建造物 旧備前国と旧美作国との国境の備前側に位置する社で、本殿の'棟札には「慶長14年(1609)」の記がある。やや大振りの三間社流造りて、前方に桟瓦葺の拝殿が建ち、本殿とは簡単な幣殿でつなぐ。
熊野神社本殿 付棟札5枚 建造物 慶安4(1651)年に建立された三間社流造の本殿で、天保4(1833)年の修理のとき桁から上と縁高欄を仕替えているが、軸部や組物・妻飾りなどの本体は、蟇股などの彫刻類とともに建立当初のままであり、17世紀中頃の流造の本殿として貴重な建物である。
栗村神社本殿 付宮殿 建造物 18世紀初頭の入母屋造本殿である。建立後約300年を経過するものの改変や後修の跡もほとんどなく、同時期における一つの基準作となるべき貴重な建物である。
児島湾開墾第一区の樋門群 三基 建造物 オランダ人技師のムルデルの発案により施工された明治時代の児島湾干拓事業の時に、締切堤防に設けられた水門の遺構が三カ所に残る。
子安神社社殿 建造物 子安神社は吉備津彦神社の摂社であるが、同神社が元禄10年に再建される以前、寛文12(1672)年の建築で江戸時代前期の神社建築の特徴をよく表わす。
西大寺観音院本堂 附 棟札1枚 建造物 文久3年12月に建てられた。正面の二間通りを大床とした、近世本堂の大建築で、会陽の際には神木投下の舞台となる。幕末の建築ながら中世以来の密教寺院の伝統様式を伝える。大工の本棟梁は当地の時岡弥右衛門幸家、脇棟梁は塩飽島の大内貫五郎である。
西大寺三重塔 建造物 延宝6(1678)年の建立。三間三重本瓦葺、総高22.1メートル、棟高15.9メートルを計り、外観は簡素ながら端正なたたずまいをなしている。
成就寺三重塔 付棟札1枚 建造物 塔姿は江戸時代にしては高さを抑えて、かつ各重の逓減もほどよく造られている。建立年代も明確でかつ携わった工匠も明らかで、19世紀初頭を代表する三重塔の一つとして貴重な遺構である。
正八幡宮本殿 付棟札2枚 建造物 棟札に示す寛永18(1641)年の建立で、当時の様式や技法とも合致する。身舎正面の中備えの蟇股や拳鼻以外は彫刻も少なく、妻飾りもおとなしい。もとは長押から妻飾りに極彩色で塗装してあったことが部材に残る顔料でわかる。四周に廻る縁や両妻の破風板・懸魚は後世の修補になるものであり、また近年垂木から上を新材に取り替えている。
菅野八幡宮本殿 付棟札2枚 建造物 17世紀に属する市内でも数少ない神社本殿の一つであり、一間社でありながら身舎の奥行きを2間と広くするなど他の流造本殿とは異なった地域性を示す。
素盞嗚神社 付棟札3枚 建造物 江戸時代初期(17世紀)の建立になる三間社流造の本殿で、向拝の出がやや大きいという特徴をもつ。軸部と組物には全て欅を使用し、組物や妻飾りは賑やかにまとめられ、向拝の手狭や拳鼻などの彫刻類がこれを助長している。桁から上や縁廻りに後世の修改築がみられるが、江戸時代初期の流造本殿の系譜を知る上で貴重な建物である。
清泰院池田忠雄墓所唐門(附透垣) 建造物 寛永9(1632)年4月3日に江戸で死去した岡山藩主池田忠雄の墓所に創建された向唐門で、戦後に旧岡山城下の小橋町から移築されたとはいえ当初の形状に復されており、規模も大きく洗練された技法が随所にみられる。丁寧な作風の江戸初期の建造物として貴重である。
大光寺霊廟 建造物 足守藩主木下家の菩提寺で三代目利当が創建。桁行三間梁間二間の単層造り桟瓦葺。簡素な造作。元禄年間と推定。
玉井宮東照宮本殿 附玉垣 建造物 正保2(1645)年の建築。桁行3間梁間2間の入母屋造り銅板葺き。江戸時代初期の優秀な神社建築で、端正な姿を示す。
七社八幡宮本殿 付棟札10枚 建造物 本殿は正徳2年(1712)の建築で標準規模の三間社流造であるが、神社本殿として一つの到達点に達した優品である。建部大工として知られる、市場村在住 藤井一統の代表作として重要である。
日応寺番神堂 建造物 18世紀初頭の建立と推定。桁行三間、梁間三間、単層入母屋造り茅葺きで、箱棟を上げる。内部は彩色文様があり、江戸初期の様式を示す。
如法寺無量寿院本堂 附棟札1枚 建造物 明和5(1768)年の再建であるが、14世紀代の五間仏堂の建築部材を再利用しており、中世寺院の意匠(とくに内陣折り上げ小組天井)が窺える建物として貴重。
日高神社本殿 付棟札6枚 建造物 旧美作国で普遍的な形式である入母屋造の妻入で、装飾が寛政年間の特徴をよく備えており、美作の南端近くにありながら、津山城下の建物の流れを伝えるものとして重要である。
妙教寺霊応殿本殿 附 棟札1枚 建造物 最上稲荷教総本山妙教寺は、一般的には「最上稲荷」と呼ばれ、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と共に、日本三大稲荷に数えられている。この建物は寛保元年に建立されら総欅造で、寛保元年(1741)に建てられた。大工は、播州赤穂木津村の野村家慶・家規父子で、木津大工集団の西限をなす作例である。
和田神社本殿 建造物 いわゆる中山造りで、さほど大きくない三間社ながら手の込んだ造りで、津山城下の建築に先行して組物を三手先にしている特徴をもつ17世紀の建造物として重要である。
 

ページトップ